赤坂氷川祭神幸祭 (1)
神輿宮入と山車神輿赤坂の町へ
 
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赤坂氷川祭神幸祭は、赤坂氷川神社のお祭りです。 赤坂氷川神社は、創立は天歴五年(951年)現在のIツ木通り赤坂不動尊辺りに鎮座したとされ、 徳川八代将軍吉宗公が将軍職を継ぐに至り、享保15年(1730年)に現在地に遷座されました。 現社殿は、震災・戦災に耐え当時のままの姿を残す築280年の東京都文化財です。 現在の社地は元禄の頃、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人瑶泉院の実家屋敷。 境内地には勝海舟翁が命名の「四合稲荷」が、お祀りされています。
赤坂氷川祭神幸祭 江戸型山車二台と町会神輿14基~宮入と神社
 
赤坂氷川祭出発式神幸祭では、赤坂氷川山車「頼義」「日本武尊」と、氏子町会神輿14基による連合巡行が行われます。赤坂氷川神社を出発した神輿は、六本木通り・外堀通りを通って、TBSのある赤坂サカスを目指す順路を盛大に練り歩きます
 
氷川曲車と祭りについて「氷川祭」はもともと神社の宮神輿を氏子町の山車十三台が警固する形で巡行していました。 その様子は神社拝殿に納められている「祭礼山車行列額絵」が物語っています。 同時代、江戸東京の各神社でも山車の巡行が行なわれており、中でも江戸城の将軍の上覧を許されていた、山王日枝神社と神田明神の祭礼(「天下祭/御用祭」)には江戸城の門をくぐる際のカラクリをもつ「江戸型山車」の巡行が盛んでした。しかし大正期頃から各地の山車が祭から姿を消し、また震災や戦災で都心の山車は壊滅状態、残った一部も地方へ流出した中、赤坂氷川神社の山車は完全な形ではありませんが、奇跡的に昔の部位が数多く残存していました。赤坂氷川山車の修復維持を目的としたNP口法人「赤坂氷川山車保存会」を設立。多くのご支援ご理解を得られた結果、平成十九年、約百年ぶりに山車の車輪が氏子の地につきました。翌年更に一台が完全復活し、二台・・・現在九台? 地域が一丸となり復活した氷川山車は未来に伝え守るべき文化遺産です。
 
 
赤坂氷川神社例大祭 翁 山車巡行

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