アプトの道 めがね橋と紅葉
11月3日 休日お出かけフリー切符(2670-)+横川駅(電車代不足分 760-)+トロッコ列車(片道900-)で 横川駅からアプトの道を歩いて ・・・約 5Kで、5号隧道を抜けて「碓氷めが ね橋です」
めがね橋の写真・27枚スライド
アプトの見「めがね橋」
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めがね橋・国重要文化財・・(碓氷めがね橋は、高さ31.39m、長さ91.06mという巨大なアーチ橋で建造に要した煉瓦は約203万個、見上げるとその重量感あふれる威容に圧倒される) 旧信越本線の碓氷第三アーチ 1、建設 明治25年12月竣工 2、設計者 イギリス人 パゥネル技師 日本人、古川晴一技師 3、構造 煉瓦造アーチ橋(径間収数 4、長さ87,7 メートル) 4、建設してからのあゆみ 碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止となった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今、なおその威容を残しております。
国指定重要文化財碓氷峠鉄道施設 碓氷第三橋梁(めがね橋) 平成5年8月17日 指定
高崎~横川間は明治18年(1885)10月、軽井沢~直江津間は、21年にそれぞれ開業しましたが、唯氷線と呼はれた横川~軽井沢間は、碓水峠が急勾配のため、路線決定に紆余曲祈し.明冶26年(1893) 四月開業となり、高崎~直江津間の全線開業しました。横川~軽井沢間の11,2 キロメートル1000分の66.7という急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていた、アプト式が採用され、昭和38年まで走り続けましたこの碓氷線には、当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、なかでもこの碓氷第三橋梁は二百万個以上のレンガを使用した、国内でも最大のレンガ造アーチ橋です。

旧信越本線の碓氷第三アーチ
1、建設 明治25年12月竣工
2、設計者 イギリス人 パゥネル技師 日本人、古川晴一技師
3、構造 煉瓦造アーチ橋(径間収数 4、長さ87,7 メートル)
4、建設してからのあゆみ
碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止となった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今、なおその威容を残しております。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。」
昭和45年1月1日 高崎鉄道管理局 松井田町教育委員会
めがね橋(碓氷)第一橋合(横川方)は地盤が固く簡単な基礎で済みましたが、第二橋台(軽井沢方)は地盤が軟らかかった為、下からトンネルを樵り、固い地盤を見つけ、その上に楕円状のレンガの基礎を造り横倉にしたと言われています。第三橋脚(軽井沢方)も同じように地中深く橋脚が埋められています。橋脚には細長い石が横に入っており(強度を高める為、現在の鉄筋の代わり)橋梁の上部は軽量化の為(水抜き穴の上部。現在でもその機能を十分に果たしている)レンガ屑や石炭ガラで埋められているといわれています。
アプト式とは、「ラックホイール」と呼ばれる歯車型の車輪と「ラックレール」というこれまた歯車型のレールを噛み合わせることで1歩ずつ坂を登っていく仕組みです。急勾配の線路を登る際に滑り落ちない様に、スイスのカール・ローマン・アプト氏によって開発されたシステムです。通常の2本のレールに加え真ん中にラックレールが敷いてあります。碓氷峠「横川〜軽井沢」間という短い距離を80分かかっていたそうです。
上野駅から高崎線で高崎駅で信越本線(普通) [横川行き] で横川駅に到着して鉄道文化むら~出入園料+トロッコ列車(片道900-)で峠の湯で降りてからアプトの道を歩く
アブトの道 めがね橋 旧丸山変電所公開 碓氷湖と紅葉

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