四季旅遊

§金龍の舞§
浅草寺示現会
 
浅草寺の山号を金龍山と言う縁起は 「十八日寺辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より
長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」
ところから出ています。金龍の舞は、この由来によるもので、昭和33年10月昭和本堂が落慶した際、浅草
観音慶賛会が後生に永く伝える記念行事として創始奉納したものです。総重量88kg、全長18m、総金箔の
龍で鱗の数が8888枚、8人の舞手が操作する勇壮な舞です。金龍は、観音様の姿に喜び、勇ましい華麗な
舞で、宗教的意義が高いといわれている。   金龍の舞の奉演は3月18日のご本尊示現会と10月18日の
菊供養の佳日に行われています。 今年は金龍の舞が奉納されてから50年、金鱗の龍も四代目(3月18日)
から10月18日に五代目を迎え、新旧交代式もあり、初演奉演では二つの金鱗の龍を見る事が出来ました。



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五重塔は浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶5年(942年)武蔵守、平公により建てられたと伝えられるが、長久2年(1041年)火災によって倒壊し、寛永12年(1635年)再建、同19年炎上したという記録が残っている。その後慶安元年(1648年)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ後の明治44年には国宝指定を受けていたが、惜しくも昭和20年3月14日戦災により焼失。江戸の大地震・関東大震災にも強かった五重塔は人災には弱かった。昭和48年11月1日に鉄骨鉄筋コンクリート造りで回廊式"塔院"の上に五重塔を建てる「塔院造り」の方法で再建され、回廊式の塔院には霊牌殿があり百体の聖観音像と信徒の方々が納めた1万2千基の永代供養の位牌が安置されている。

五重塔の最上階にはスリランカのイスルムニヤ王立寺院から奉載した「聖仏舎利」を納め、途中階には信徒奉納の「五輪宝塔」が奉安されている。五重塔は昭和20年戦災による焼失までは観音本堂に向かって右側に位置していたが、昭和五重塔は左側に建造され、地上53.32m(塔のみ48.3m)を誇る高さは京都東寺に次いで高い五重塔です。 浅草大百科より