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高円寺阿波踊り 2 0 1 0
昭和32年、街おこしの為に阿波踊りが導入され、存続の危機を乗り越えて、今年で53回目の高円寺阿波おどりが2009年8月29〜30日まで開催。初めの頃は「高円寺ばか踊り」で、昭和36年徳島新聞社から、徳島県人会の「木場連」と巡りあい、木場連の指導でテクニックなどを学び、昭和38年正式に「高円寺阿波おどり」に変更して新たに出発した。現在では約188団体(連)、約12,000人の踊り手が、軽快なお囃子を奏で、踊り、見物客120万人で動員するその規模は、徳島に次いで第2位の規模を誇る。隅田川花火大会、浅草サンバカーニバルと共に東京の三大夏祭りにも数えられ、都内の夏を彩る代表的なイベントとして知られています。 高円寺駅〜新高円寺

   






高円寺阿波踊りは、
高円寺商店街の振興と氷川神社の祭礼の奉納の為に始まった。企画は現在の高円寺南商店街振興組合に設立された青年部によって行われ、初は神輿などが企画されていたが青年会の若いメンバーの平凡な祭りを拒絶。他のアイデアが検討された・・・・
高円寺には道路幅の狭い商店街が連なる一方、祭りが出来るほどの大きな広場がない。そこで狭い道路を練り歩ける行進踊りを検討。隣駅の阿佐ヶ谷で仙台名物の「七夕祭り」を開催していた事から、こちらは「南国ムードで」と阿波踊りをすることになったという。当初の阿波踊りは青年会のメンバー32名で行われ、観客は3千人といったこじんまりとしたもの。おまけにメンバーは誰も正確な阿波踊りを知らず”阿波踊りスタイル”の踊りとなり「高円寺ばか踊り」というキャッチフレーズが付けられていたという。さらにお囃子をチンドン屋さんに依頼したのだが、なんとここで演奏されたのが「佐渡おけさ」。なんともちぐはぐな祭りだったようだ。

本場との交流により本格化
このように商店街の振興という現代的な目的を持って始まった高円寺阿波踊りだが、今では本場徳島の阿波踊りにも負けない勢いを持っている。その裏には、長年にわたる努力があったのだ。
いま一つ盛り上がらない高円寺ばか踊りに一時期は祭りの中止も検討されたという。しかし開催から4年後の36年に転機がやってきた。
「祭りを発展させるなら徳島の人に踊りを教えてもらわないと」。青年会のメンバーは東京にある徳島関連の事務所を尋ねて回り、「徳島新聞」の東京支社で記者をする谷田匡さんの協力を得る事に成功。江東区木場にある徳島県出身者による「木場連」に指導をしてもらう事となる。
若者が木場に通い、基礎からの厳しい指導を受け、それから4年後、見られる高円寺の阿波踊りになった

さらなる技術の向上を目指し
真の阿波踊りを求めて単身徳島に向かった。徳島の様子を8ミリで撮影を行い、帰京してすぐに映写会を開いた。本場の阿波踊りを見て、少なからずショックを受けた有志が昭和40年に12人が「阿波踊り留学」と称して徳島に旅立ったのだ。

第9回を迎えた高円寺阿波おどり
参加者800名、観客28万人となる一大イベントとなり、マスコミにも取り上げられ始めたから現在では
JR高円寺駅南北商店街、および高南通りに設置された9カ所の演舞場で、約188団体(連)、約12,000人の踊り手が、軽快なお囃子を奏で、踊ります。見物客120万人あまりを動員するその規模は、徳島に次いで第2位の規模を誇っています。