四季旅遊

浅 草 羽 子 板 市
歳の市(納めの観音)

江戸では毎年三度の大市の中で、12月の市が最も栄え、これを歳の市と称した。

師走の17〜19日に、浅草寺境内で開かれる羽子板市は浅草の風物詩として有名です。羽子板市の起源は、古くは「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長からを願う風習からきている。浅草の羽子板市は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されたのが始まりだったそうです。そして昭和25年頃「羽子板市」の名で呼ばれる様になり、歳末の風物詩として定着した。羽子板市で売られている押絵羽子板の起源は、文化・文政年間(1804〜1829)頃からといわれている、江戸末期には歌舞伎の役者絵が画題となり江戸を中心に現在まで続いている。羽子板の製作は下谷周辺の下町に多くあったが、関東大震災や戦災の影響で、その多くが埼玉近郊に移転している。
今年の世相羽子板には、今年話題となった文化功労、「ゲゲゲの鬼太郎」ほか、無期限謹慎中の市川海老蔵さんについて「精進し芸を磨いてください」と書いた紙を羽子板につけた店もあった

 







正月用の歳の市といえば江戸中期頃までは、浅草に限られていた。 一方、浅草寺のご縁日は毎月18日であり、17日18日両日は歳の最後の縁日として、一年の無事に感謝し、来年も良い年にと願う納めの観音詣の日でもあることからなお一層にぎわいを示し、江戸の年中行事でした。武家や大店は、家来や奉公人に用心籠や長持ちをかつがせ、大挙して浅草にくり込み、毎年きまった店で買い、帰りには料理屋へ寄って威勢をつけるのが、見得の様にもてはやされた様です。明治以降は、正月用品の購入も通常の店屋で用を足す様になり、歳の市の面影は次第にすたれて来て、現在では江戸末期から流行しだした羽子板市に重点が移り、盛況を続けております。

羽根つきは古く室町時代から行われた遊びで、500年ほど前の永享年間には、初春を寿ぐ遊びとして、宮中で男組女組に分かれて競技をしている記録が残されています。その頃にも羽子板には松竹梅や花鳥の図を描いておりましたが、江戸時代に入ると押絵細工を応用する様になり、浮世絵画家も応援して、図柄の構成や色彩も華麗になりました。更に江戸末期、当時流行の歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を貼り付ける様になってからは、江戸の女性の爆発的な人気を集め、殊にその年の当り狂言の人気役者の羽子板がずらりと並んだ浅草観音の羽子板市には、江戸中の女性が胸をときめかせて出かけたと云われております。又、羽根は生まれた児が邪気をはねのけ、すこやかに育つ事に通じますので、昔から女児の出産には必ず羽子板を贈る習わしがありました。子供の成長を願って羽子板を贈り、はねつきをして新春を寿ぐ、まことに日本的な心根やさしい、美しい風情と申せましょう。 関連HP浅草観光連盟 www.e-asakusa.jp