四季旅遊

神 田 明神(神田神社)だいこく祭
包丁初め俎開き(四條流包丁儀式)

神田明神で、恒例の「だいこく祭」境内では大黒様に扮した神楽師が、参拝者の頭上に、小槌をひと振りする姿が見られる。開運招福の福笹守りも授与されていた。だいこく祭開催中に四條流包丁儀式が奉納されました。装束姿で右手に庖丁刀、左手に真魚箸を持ち、まな板の材料に触れることなく調理する古式に沿った日本王朝時代の厳粛な儀式です。伝統的な作法に則って鯉を切り分けた。その見事な包丁捌きによって切り分けられていく鯉に、参拝客の観衆は息をひそめて見入いり、さばき終わると歓声や拍手が沸き上がりました。2 0 1 2 年 1月15日撮影 神田神社 だいこく祭 寒中みそぎ 2011年1月17日
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四 條 流 包 丁 儀 式 の 解 説

「庖丁儀式」は日本王朝時代の厳粛な儀式であり古典文化生活の一表情であります。

四條流の名は平安朝の初期、五十八代光孝天皇が料理に趣味をお持ちになり
御みずから庖丁を執られまして、数々の宮中行事を再興(さいこう)されました。

 「四條流庖丁書」には、四條中納言藤原朝臣山陰卿が、鯉を庖丁したことから、
庖丁の儀式の切形がはじまったと記録されています。また「源氏物語」の
「常夏巻(とこなつまき)」にはー「いと暑き日、ひんがしの釣殿に出給ひて、
すずみ給ふ、中将の君もさふらひ給ふ、したしき殿上人あまた候ひて
にし川(桂川のこと)より奉れる鮎、ちかき川のいしぶしやうの物、おまへにて
、調じてまいらす」―云々と書いてあります。

また「宇治拾遺物語」では、記茂経(きのぼうけい)が「さて狙板、洗ひて持て参れ」と声高いひて、
やがて茂経今日の庖丁仕らんといひて、真魚箸けづり鞘(さや)なる庖丁抜いて云々と記されてあります。

 このように「庖丁式」は、まことに古い時代から行われたものでありまして、
幾多の文献を見ましても、そのはじめは殿上人(公卿)や、大名が賓客」を
我が家に招いた場合にその家の主人が心から歓待する意味で、まず、
主人みづから庖丁をとって、庖丁ぶりをみせてその切った材料を、
お抱えの御膳部の料理人に調理させて、ふたたびその賓客のお膳に供して、御馳走したものであります。

従って「庖丁式」というものは、
厳粛の儀式であるとともに、あの平和な大宮人の風流優雅な気分と
生活の一端を表現した社交儀式とも言えましょう。


ことに「鶴の御膳庖丁式」というものは、伊勢貞丈の随筆「纐纈(こうけつ)の巻(かん)」
にも記されてあるように、正月二十八日、禁中(宮中)の清涼殿で行われたもので、
天皇の御膳でなければ許されないおごそかな庖丁儀式とされておりました。

この「鶴の庖丁式」の切り形にも
「式鶴」「真千年」「草千年」「舞鶴」「草鶴」「鷹鶴」というような名称の切り型があります。
「鯉の庖丁式」の切形は四十種以上もあって、ソレゾレ、その名前も異なっています。
 たとえば「竜門の鯉」とか「長久の鯉」とか「神前の鯉」「馬場の鯉」
「出陣の鯉」「梅見の鯉」「二唯の鯉」等々がありまして、その宴にふさわしい
意味での庖丁式がとり行われるのであります。

 また、鯉のほかには、鯛、真鰹(まながつお)、鱸、鮒、鮭、鯒、鯰などの魚類をはじめ、
雁、鴨、雉、鵠、等々の鳥類もその材料に用いられます。雁を例にすると、
「式雁」「真雁」「初雁」「帰雁「落雁」「雁やつし」等の切型と名称があります。

 かように、「庖丁式」は日本古来からの優雅な王朝文化財」でありますが、
戦国時代や、世の時代時代のうつりかわりに、この儀式の盛衰もありましたが、
幸いにも「四條流」は時代の篩にかけられて滅びることなく、徳川中期から
この庖丁式の切型が石井家に伝承されました。

明治になってからは、この伝承の唯一人の人で、
先年物故された四條流宗家九代石井泰次郎翁であります。

 日本料理の最高権威である故山下茂氏は、この石井翁に師事して「庖丁式」の奥儀をきわめ
切磋琢磨すること、実に三十余年の長き歳月に及びました。

 今日としては、昭和四十五年十二代家元を襲名された故山下氏の「庖丁式」は、
あの先々代幸四郎丈の名技十八番「勧進帳」の弁慶のごとく有名であり一種の「名物」とされていました。

然も近来この「庖丁式」の伝承の重要性がとみにみとめられて、生前山下茂氏に教えを乞う門人も
日本全国に数多く、日夜研鑽していることは、わが日本の無形文化財たる「庖丁式」を永く後世に
伝える意味からしても「四條流庖丁儀式」の伝承は現在数多くの師範及門人に於いて継承されて居り
日本料理道のために悦ばしいことであります。