四季旅遊

三社祭斎行700年祭 舟 渡 御
平成24年3月18日、三社祭斎行700年祭「舟渡御」の宮神輿浅草移御が行われ、沿道や周辺には一目見ようを多くの人で賑わっていました。午前中は宝蔵門に集結した行列一行は此処から氏子44町会の地域を行列、「神輿を引き屋台に乗せ宮神輿四十四ヶ町移御 宝蔵門→伝法院通り→馬道通り→言問通り→吉野通り→小松橋通り→国際通り→ 浅草通り→並木通り→雷門通り→江戸通り→東参道桟橋」というコースを周り、午後二時から隅田川を舟渡御、東参道桟橋から桜橋〜浅草橋〜駒形橋(駒形堂)まで舟渡御して、宮神輿渡御を雷門〜仲見世〜浅草寺本堂前〜浅草神社

江戸時代は、御縁日である3月18日の大祭前夜(17日)浅草神社の御神体がお移りになられた一之宮・二之宮・三之宮三基の御神輿を観音本堂外陣に「お堂上げ」にて安置し、観音様と三社の三人の神様に共に一晩を過ごして頂きました。また、この時には、「神事びんざさら舞(現在都民俗無形文化財)」が堂前の舞台で奉演されています。 翌大祭当日(18日)には、各町会より山車が観音本堂前に参詣の上、各々の趣向でその絢爛・豪華さを競い合い芸能を演じ、随身門(現在の二天門)を出て自分の町へ帰りました。 その後、御神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、一之宮を先頭に浅草御門(現在の浅草橋際)の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。そして待機している大森(品川)在住の漁師によって供奉される舟に各御神輿が乗せられ、浅草川(現隅田川)を漕ぎ上がって駒形岸或いは花川戸岸から上陸の後、浅草神社に担ぎ帰られたと云われています。 当時は浅草寺と一体となった行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれてもいましたが、江戸末期にとある理由により廃絶し、昭和の時代に一度斎行されたものの、明治以降は御神輿が氏子各町を渡御するのみとなった。(DATA「浅草寺」)