四季旅遊
イベント祭り

原宿表参道元気祭 スーパーよさこい
2 0 1 2 年 8 月 26 日撮影
よさこいの本場高知の伝統と、流行の最先端である原宿・表参道とが融合した首都圏最大級の祭です。 昭和29年(1954年)に高知県で誕生し、現在では各地に広まった「よさこい祭」、原宿表参道元気祭 スーパーよさこいも今年で第12回目を迎えました。原宿は若者たちのファッションのメッカである、ストリートパォーマンスの盛んなロケーション、すぐ近くには深い森に抱かれた明治神宮、代々木公園・・・伝統と最先端の文化が融合する舞台に全国各地から約100チーム、踊り子約6000人が参加し個性溢れる熱気的なパォーマンスが展開された。本場高知県からも有名チームが毎年10チームほど参加しています。中でも表参道を交通規制して行う熱気溢れる流し踊りが必見です。
     









よさこい祭りとは
土佐弁で「夜に来てください」と言う意味。
「よさこい」を漢字にすると「夜さ来い」「夜更来」「宵更来」となります。
よさこい祭りは昭和29年、戦後不況の中で高知県商工会議所が中心となり経済復興・地域興しを目的とし南国土佐高知で誕生しました。 第1回目、参加チーム数21チーム、参加者750人で行われたよさこい祭りは、第30回には踊り手10,000人以上が参加する大きな祭りに成長し、昭和45年、大阪での日本万国博では日本の祭り十選の一つにも選ばれています。
そして、約50年を経た現在、よさこい祭りの個性あるパフォーマンスに魅了された人々により日本各地に広まり、全国で次々と"よさこいスタイル"のお祭りが誕生し、その数は今や220近くもあるといわれています。
本場高知「よさこい祭り」では曲の一部に武政英策氏作曲"よさこい鳴子踊り"のフレーズを使用すればアレンジは自由というルールがあります。
この"よさこい鳴子踊り"は"よさこい節"、"よっちょれ(わらべ歌)"、"ジンマも(郷士の隠れ唄)"の3つの曲を合体させたもので、武政氏はこの楽曲の著作権を放棄し、提供しました。
日本各地に広まった"よさこいスタイル"のお祭りでも、曲の一部にその地方の民謡などのフレーズを使用すれば良いというのが一般的です。現在では、多くのチームが自分たちでオリジナル曲を作曲し、地方車の上に生バンドを乗せて演奏しています。
そのスタイルは正調のよさこい節から、ロック調、サンバ調、と様々。このような自由度の高さが、よさこい祭が若い人達に受け入れられ、日本各地に広まった大きな理由ではないでしょうか。 その意味でも武正氏の著作権の放棄、という事実は大きな意義を持つといえるでしょう。
よさこい祭りに欠かせない楽器が鳴子です。
元々、鳴子は田畑に吊して、音で雀などをを追い払う為の道具でした。よさこい祭りが高知で誕生した時、徳島県で既に有名だった阿波踊りが素手で踊るのに対抗し、楽器を使っての踊りが考えだされました。その楽器に鳴子が選ばれたのは、南国高知では年に二回お米がとれる土地柄であり、親しみのある鳴子が選ばれたようです。
伝統的な形は、朱色の木製ボディに黒と黄色のバチがついた形ですが、現在はほとんどのチームが衣装に合わせて、色や材質、形までアレンジし使用しています。
また、日本各地で行われているよさこい祭の他にも、学校のリズム体操などにも使用されるほど普及してきました。
自由度の高いよさこい祭りの衣装は色もデザインも自由です。
よさこい祭りが高知で誕生した頃は、男性も女性も浴衣姿で踊りを楽しんでいましたが、踊りが変化するとともに、法被姿が多くなり、今ではエスニック風やロック調のもの、時代劇風のものとバリエーションを増やしています。
そして、多くのチームが毎年その年のチームのテーマに合わせて衣装を新調し、その個性溢れる踊りに彩りを添えています。
地方車「じかたしゃ」は、本場高知「よさこい祭り」第4回から登場しました。
地方車はチームの先頭を先導する飾り立てられたトラックで、チームのシンボルであり、その運転席はチームの司令塔になります。その車体にはチームのコンセプトをアピールする個性的な装飾が施され、さらに荷台には音響機材とバンドが乗る移動するライブステージでもあります。
最近では動く仕掛けや電飾などに凝ったものも多く登場し、観衆の目を大いに楽しませています。